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History & Culture 歴史・文化

現地周辺の歴史

屋敷町としての歴史。旧・松平越前守中屋敷界隈。

現地周辺地図

第16代越前福井藩主 松平春嶽 (1828~1890)

松平春嶽

田安徳川家の第3代当主、徳川斉匡(なりまさ)の八男。
春嶽は号で本名は慶永。11歳で越前松平家の家督を継ぎ、財政難にあった福井藩の立て直しを図りました。世界への進出を想い描いて幕政の改革にも係わり幕末四賢候の一人に数えられました。
1862年、西洋のリンゴを日本に初導入したという逸話も残されています。

所在地 中央区新川一・二丁目地域 越前堀跡 越前児童公園内にある越前堀に関する記述

越前堀跡

松平越前守の屋敷地は、三方が入り堀に囲まれ、「越前堀」と呼ばれていました。その護岸は石積みで幅は20~30mもあったため運河として用いられ、荷を積んだ小舟が通っていたといいます。明治になると屋敷地は「越前堀」という町名に変わったものの、その後埋め立てられ、往時をしのぶ場所は「越前堀公園」(約230m)が残され、歴史を現代に伝えています。

江戸城下、旧・越前堀界隈。松平越前守の中屋敷が構えられたこの辺りは江戸城や富士山の雄姿、大川から拓ける江戸湊が絶景であったと今に伝わっています。
1800年半ばには、英邁の藩主として誉れ高い松平春嶽もここで暮らしたと記録されています。
江戸城下の風光明媚。その記憶を一身にまとうこの地はいまもなお時代の担い手たちにふさわしい安息を備えています。

東京駅八重洲口の歴史

八重洲の移り変わり

明治初期

明治初期

江戸城の外堀にかかる呉服橋御門。
明治6年(1873年)に取り壊されました。門の内側には北町奉行所があり、現在八重洲口にその史跡が残っています。

昭和初期

昭和5年刊行『日本地理体型』より。
東京駅の手前が八重洲口。外堀の姿が見て取れます。外堀は戦後に埋め立てられ、外堀通りとなりました。

昭和初期

昭和5年頃の八重洲通り。
八重洲通りは震災復興事業の一貫として整備されました。八重洲通りの向かって右手奥が昭和4年に竣工した東京建物ビルです。

昭和5年頃の八重洲通り
昭和40年

昭和40年

高度経済成長期の活気が感じられる八重洲口。
車が列を成し、モータリゼーションが進んでいる様子が分かります。
サラリーマンと思しき人の姿も多く見られます。

平成26年

平成25年に開業した東京駅のグランルーフ。
大きな帆を広げたデザインは、新しい時代に向かって出航する八重洲の姿を象徴しているようです。

平成26年 [東京駅八重洲口グランルーフ] ※現地より約1,270m 2015年2月撮影

※上記の内容は分譲当時のパンフレットに記載されている内容を基に掲載しており、実際とは異なる場合があります。